たこ焼き八ちゃん堂(1)
投稿日時:March 06, 2007 / 01:39 PM 投稿者: 高橋康徳◇3月6日◇ 晴れ
今週末の社長インタビューは、お待ちかね!
福岡県内有数の優良企業と噂される、たこ焼き八ちゃん堂です!
創業者、川邊義隆社長にインタビュー出演いただきました。
(以下敬称略)
八ちゃん堂の創業は、1977年2月。
スバルの幹部候補として有望視されていた川邊は突如、たこ焼きの道に転じる。
「3人の子どもや妻を路頭に迷わせることになるぞ!」
当然ながら周囲は猛反発。
特にスバルの上司でもあった父は激怒し「何があっても頼るな!」と言い放った。
川邊の計画に賛成してくれたのは妻ただ一人だった。
それでも川邊には、確たる勝算と自信があった。
当時のたこ焼き業界は露天商や車売り中心、いわゆる「家業の世界」だった。
川邊は、日本初の「組織的なたこ焼き企業を創る」と決意して臨んだのだ。
しかし、どの企業も同じだが、駆け出しは非常に貧しいものだったという。
創業の地として川邊が選んだのは、生まれ育った大都市・福岡市ではなく、
福岡県南部の小さな町、瀬高町(現みやま市)だった。
「この地域は、大牟田・久留米・大川・柳川・八女・筑後と6市で50万の人口がいた。
大都市に負けない市場があったんです」(インタビューより)
資金のない川邊はまず、火事で焼け落ちたガソリンスタンドを本社として借り上げ、
コンクリートの床にダンボールを敷きつめた。夜は登山用の寝袋に包まって寝た。
電気は切れていたのはロウソクで代用し、飯は登山用の携帯コンロで炊いた。
「ガソリンスタンド跡に乞食が住みついた」 当時、周囲はこう噂したという。

極貧の創業からわずか一年。八ちゃん堂は驚くべき急成長を遂げる。
なんと初年度の納税で、800万円の税金を納めたのだ。
最初は1台だった軽ライトバンは年末には10台を越えていた。
なぜ八ちゃん堂は、これほど短期間で一気に成長できたのか?
そこには、明確な戦略と戦術があったという。
詳しくは川邊社長インタビューのVTR2にて!
→八ちゃん堂川邊義隆社長(カウ社長室No.048)のインタビューは3月10日OA始!
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