大三角形、ふたたび

投稿日時:November 14, 2009 / 06:43 AM  投稿者: 高橋康徳

僕がテレビ業界に入ったきっかけ

それは、オーストラリアでの「ある2人との共同生活」でした。

1994年・・・オーストラリアにて

大学4年生のはじめ、21歳の僕は、ワーキングホリデーというビザを取得して人生初の海外遊学に挑戦しました。この、少し遅めの海外デビューが僕の人生を大きく変えることになりました。

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エアーズロックにてイギリスの旅人と

渡航したシドニーで僕は、語学学校へ通うかたわら、日豪プレスという新聞社で働いたり、プールバーに通ったり、VB(ビクトリアビター)など現地のビールを飲み比べたり、ボンダイビーチでパイナップルを売ったり・・・さまざまな活動をしまた。どれも強烈な思い出で、15年が経った今でもそれらは鮮明に僕の脳裏に残っています。そんな「強烈な刺激たち」の中で、もっとも大きかったのが、同居したヴォーンとキムという2人の友人の存在だったのです。

ヴォーンとキム

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ヴォーン(オーストラリア人・男・39歳)は僕より18歳も年上のいわばオッサンでした。が、メンタルはめっちゃ若く、まだ独身で、僕らとよく口ゲンカしました。そんな彼となぜ同居かというと、実はヴォーンは、僕が通う英語学校の講師でした。ヴォーンにとって「英語の先生」というのは仮の姿で、彼の本職は「TVディレクター」でした。

一方、キム(香港人・男・17歳)は僕と同じ英語学校に通う生徒でした。香港から英語とアート・デザインの世界を夢見て留学していた少年でした。繊細で見た目も細く、僕の中での「デザイナー」のイメージ通りのルックスとメンタリティの持ち主でした。

そんな2人との同居生活。共に笑い、時にケンカし、そしてまた笑う。そんな2人のアーティスティックな生き方が、その後、僕をテレビの世界へ駆り立てていくことになります。(彼らとの生活ぶりは面白いけど、書くと長くなりすぎるので、また今度にします)

1995年・・・広島にて

一年後、僕は日本へ戻り、広島大学の4年生として学業復帰を果たしました。ヴォーンはシドニーからモロッコへ渡り、キムは香港へ戻り、僕は広島から福岡へと、まさに世界に広がる大三角形です。ネットもメールもない時代、しかもズボラな3人組の男たち。僕らが交流を続けるには、当時の世界は広すぎました。交流は時と共に細り、やがて3人の一角キムとの連絡がプッツリと連絡が途絶えてしまったのでした。

しかし僕は、どうしてもヴォーンとキムとの日々が忘れられず、逆ホームシック状態。そうして僕が考えたのが、もう一度彼らと繋がるためにテレビの世界を目指そうということでした。「テレビ」というある意味で「アートに近い世界」にいれば、きっとまた彼らと一緒に仕事ができるのではないか?という単純で甘い期待が最大の動機でした。

2009年・・・日本にて

あれから15年。世界にはネット、メールが普及しました。

そして今日。2009年11月14日。

朝6時半。いつものように目が覚めると、ケータイに1通のメール。

20091114001.jpgキムは僕のことを覚えてくれていたようです。
17歳の時に語っていた夢の通り、プロのデザイナーになっていました。彼のサイトを見ると、有名映画のポスターや数々のWebサイトをデザインしてきたという実績がズラリ。正直、驚きました。→キムのサイト(英語)
こうして、僕らの大三角形(日本-モロッコ-香港)は、15年ぶりに、その三辺が繋がりを取り戻しました。「ネットの進化が世界を狭くする」とは良く言いますが、今日ほどそれを心から実感した瞬間はありませんでした。キム、ヴォーン、そしてネット環境の発達に感謝!!

高橋康徳/株式会社カウテレビジョン

新・凡事徹底リスト
○ 早起き6時半時まで
○ 凡事チェック
○ がっちり握手!
○ さわやか元気に挨拶
○ 刺激に会う:エイチ・エス証券の林前社長、来社ありがとうございました!
○ 家族、先祖に感謝
○ チーム、友人、客に感謝
○ お礼ハガキ/メール/FAX
○ 電話は3コール以内で出る
○ ちょっとイイトコ見つけて褒める

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